開いたところ☆ 日時:2014/12/21 2:30:08
今日のシンクロ本・。・
アメリカで著名な精神科医の
ワイス博士の本から。
『魂の伴侶 ― ソウルメイト ―』
ブライアン・L・ワイス著
「はじめに」より・・・
「この本はソウルメイト、魂の伴侶の物語です。
ソウルメイトとは、愛によって
永遠に結ばれている人たちのことで、
彼らはいくつもの人生で
何回もの出会いを繰り返しているのです。
どのようにして自分のソウルメイトを見つけ、それを認識するのか、
いつ、自分の人生を根本から変えてしまう決定をするのか、
ということは、私たちの人生において、
最も感動的で重要な瞬間です。」
「私たちの体と魂は、自動車と
それを運転している人の関係に似ている。
あなたは運転する人であって、車ではない、
ということを忘れてはならない。
自分が車だと思ってはならないのだ。
百歳以上までも命を何とか長引かせようという今日の風潮は、
間違っていると言わざるを得ない。
それはまるで、三十万キロ以上走ったオンボロのフォードを
四十万キロまでもたせようとするみたいなものだ。
車体はさび、トランスミッションは五回も修理し、
エンジンの部品はバラバラになっているのに、
それでも廃車にするのは嫌だと言いはっているのと同じである。
すぐ先の道を曲がったところには、
真新しいコルベットがあなたを待っているのにもかかわらず、である。
あなたがすべきことはただ、
古いフォードから素直に降りて、
ピカピカのコルベットにすべりこむことだけなのだ。
運転する人、つまり魂は決して変わりはしない。
ただ車だけが変わるのだ。
ついでに言っておこうか。
その先には、フェラーリがあなたを待っているかも知れないのだ。」
「男?女?輪廻転生を繰り返しながら、
私たちは性、宗教、人種を変えることによって、
あらゆる角度から自分が何者かを学んでゆくのだ。
私たちはみんな、ここで学んでいる魂なのだ。
ここは学校である。
誕生?
もし、私たちが本当は決して死にはしないなら、
本当にゼロから生まれるわけではない。
私たちはみんな不滅で神聖な永遠の存在なのだ。
死とはもう一つの部屋へと、
ドアを通って歩いてゆくことに他ならない。
私たちはさらにレッスンを学ぶために、
何回もこの地上に戻ってくる。
そして、愛、許し、理解、忍耐、気付き、非暴力等の特質を学び、
恐れ、怒り、貪欲、憎しみ、誇り、我欲等、古い思い込みからくる
特質を脱ぎ捨てなければならない。
そのあと、私たちはこの学校を卒業することができるのだ。
この世界で学び、古いものを捨てるための
十分な時間が与えられている。
私たちは不死である。
私たちは永遠である。
そして私たちは、神の本質をもっているのだ。」
「人は常に一番強く結ばれているソウルメイトと結婚するわけではない。
魂の家族が一緒に旅を続けているので、
ソウルメイトは一人だけというわけではなく、
もっとたくさんいるのかもしれない。
そして、結びつきは少し弱いけれど、
あなたに教え、あなたから学ぶべき何かを持っている魂との
結婚を選ぶことがあるのかも知れない。
両方ともが、今生ですでに家族をもってしまったあとになって、
ソウルメイトと出会うこともあるだろう。
または、もっとも深い関係のあるソウルメイトは、
今生であなたの親、子供、兄弟になっているのかも知れない。
または最も深い関係の魂は、今は生まれておらず、
守護天使になって、あちら側からあなたを守っているのかもしれない。
時には、あなたのソウルメイトが積極的に近付いてくることもある。
彼、または彼女は、あなたに、情熱と魅力、
いくつもの転生にわたるつながりを示す
親しみのある不思議な縁を、感じさせるかもしれない。
しかし、その人はあなたにとって有害であるかも知れない。
それは魂の成長の問題なのだ。
もし一方の魂が、もう一方の魂より未成熟で無知であると、
暴力、貪欲、嫉妬、憎しみ、恐れ
などの傾向が二人の関係に持ちこまれやすい。
こうした傾向は、より進化した魂にとっては、
それがたとえソウルメイトからのものであっても有害である。
“私は彼を変えることができる”、
“私は彼女の成長を手伝うことができる”
という幻想がわきあがってくる場合がある。
もし相手が、あなたの援助を拒んだり、
自由意志によって、学びも成長もしないと決めていると、
二人の関係はつまずいてしまう。
もし、この人生で、目覚めない場合には、また、別の転生で、
別のチャンスが与えられるだろう。
年を取ってから目覚めるということもあるだろう。
時には、ソウルメイト同士が肉体を持っている間、
結婚はしないと決めている場合もある。
彼らは出会い、合意している学びが終わるまで一緒に過ごし、
それから別れて先に進むように計画してくるのだ。
彼らの今生全体を通してのテーマや学びの計画は、
それぞれに違っており、この人生の間ずっと一緒に過ごすことは望まず、
あるいは、その必要もないのだ。
これは悲劇ではなく、単に学びの問題に過ぎない。」
「近くにいるが、まだ目覚めていないソウルメイトは、
悲しむべき存在であり、あなたに時に多大な苦しみを与える。
目覚めていないということは、その人が人生をはっきりと見ようとせず、
存在の多くのレベルに気付かないということである。
目覚めていないとは、簡単にいえば、
魂のことを知らないということである。
目覚めをさまたげているのは、普通は日常的な理性である。
私たちは常に理性の言い訳を聞いている。
私は若すぎる。
もっと経験が必要だ。
まだ落ち着く準備ができていない。
あなたとは宗教が違う(または人種、出身、社会的地位、
知的レベル、文化的背景等々)。
これらはすべて言い訳にすぎない。
なぜなら、魂はこうしたものは一切もっていないからである。
人は魅かれあう何かを感じることがある。
何かその人に魅かれるのだが、その原因が何なのかはわからない。
こうした情熱、つまり、魂同士の認知や、魅き合う気持ちは、
他の人との間にも簡単に見つかるだろうと思うのは思い違いである。
そのようなソウルメイトに毎日出会えるということはない。
おそらく、一生に、あと一回か二回しかないだろう。
神の恩寵は、良き心、愛に溢れた魂に報いてくれるだろう。
ソウルメイトに出会えるかどうか、心をわずらわしてはならない。
こうした出会いは運命なのだ。ただ起るべくして起るのだ。
出会ったあとは、二人の自由意志の問題となる。
どんな決心をするかは、自由意志の問題であり、選択の問題なのだ。
まだあまり目覚めていない人は、
理性とそれが持つ恐れと偏見に基づいて決心をするだろう。
残念ながら、これはしばしば、心を痛める結果をもたらすものだ。
二人が目覚めていればいるほど、愛に基づいた決心がなされるだろう。
二人とも完全に目覚めている時には、至福は彼らの手の内にある。」
…上記の文で、次は“フェラーリ”ではなく、
つい自分は“ポンコツ”ではないか-.-;…を、
想像してしまいやすい方は(・_・)
心の奥底の無意識の傷を解消しましょう。
〜 今日の写真。
12月・。・街はお約束のイルミネーションだらけ。
慣れ過ぎて何も感じなくなってしまった
私の感性もどーにかしないと-.-。〜
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