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Vol.5 < おとこ。おんな。 >
る男性から、年令を聞かれた時に。。。
私にその質問を投げた男性は、途端に口を押さえ、「わ!今、さらっと年令聞いちゃった!失礼、失礼!“女性に対して”スミマセン、汗(;^_^A)と言いました。

  …“女性に対して失礼”…?
  なんで?

  確かに、子供の頃からそんな台詞が耳に入ることはあるけれど、“その理由”について同時に伝えてくれる人に未だ逢ったことがない…。

  なんで?? 

  それだけ蔓延している概念なら、何かよほど確固たる理由があるのでしょう、と、私は思うところでありますが…。
  昔から思っていたのですが、もし、女性に年令を聞くのが失礼ならば、男性に年令を聞くのだって失礼じゃないのかな…?

  …そういえば大昔、銀座や六本木の夜勤務を転々としていた頃(^o^;)、お客様に年令を聞きたい状況になると、何となく気が引けたので、「あの…失礼ですけど、おいくつでいらっしゃるんですか?」と聞いていた私…。
  相手が若ければ若いで、それを改めて言わせるのは何だか失礼だと思ったし、高齢なら高齢で、やはり何となく言わせるのが失礼のように思ったのです。

  そのようにして私が年齢を尋ねた際に、数名の男性が意外なほど驚き、「俺、女の人から“失礼ですが”って、年を聞かれたの、初めてだよ!何かスゴいね〜」と言ったのです。
  …なんで???
  だって普通に考えて、性別の問題じゃなく“人間”としての共通問題じゃないの(?_?)
  あの頃、ますます疑問に思った記憶があります。。。

  私は、自分の年令を言うことに抵抗を持ったことがないのですが…私はただの異端としても、ソレを恐れるという心理、一体“何が”為せるのでしょう・・・。 あなたは、いかがですか?
  個々に考える価値はありそうです。

  ・・・何か見つかりそうですか?


*****

  ところで、“男女平等”というあの不思議?な言葉。。。

  必要以上に性別を強調することの方が、むしろ不平等を作り上げている面もあるような…。 

  “差別”と“区別”の混同は、イケナイ。。。
  勿論、もしも本当に“差別”と呼べるような、性だけを理由に虐げられるような環境が存在している場合は、勿論かなりの問題ですが、その言葉の真髄を通り越して、あまりに個人の利己的な言い訳にも用いられているような気がする場に遭遇することも、多々あります…。

  あまりにムキになる方を見ていると、“この人、性に関する何かの無意識的なトラウマあるのかな…”と思い、とても気の毒に思ってしまう私ですが…。
  それに、男性と女性、身体のつくりが違うということは、そもそもの役割が違うのは明確でありましょう。
  誰でもわかるように、長けている性質も“瞬発力”と“持続力”の違いに始まり、それぞれ“肉体の制約”と共に、発揮しやすい力の違いもあるのだと思います。

  …例えば、子供を出産することは命がけ(特に私自身は極めて難産)ですが、それでも、もともと在る臓器を使用しているわけで…。
  そう考えると、意識的ではないにしろ、毎度毎度たくさんの卵を作り出す、“巣”をお持ちの男性も、実は大変な役割を日々されているのかも知れませんよね。
  だから、女性より短命という論証があり、また“防衛”高いパーソナリティの仮面を持つ人が多いんじゃないのかな? そのような意味での“弱さ”のせいかも知れないし。

  私はあまり、“女性が”弱いとは思わないんですよね。 それも、やはり性別の問題ではないと思いますし。 まあ、でも別に“女性の弱さ”と説き、拳を上げる方に対して、同性として何かを訴えかけようと思うほどの、思い入れすらないテーマですけど。。。

  仕事の時ではなく、喫茶店などまったくの日常場面で、「自分が“女だったから”、〜されなかった」という言い方で不満を述べる人の話を聞いてると…、「それは、“女だったから”じゃなくて、“あなた”だったからでは…。 原因を“自分”へ向かわせず、“性別”に言い訳見つけちゃってるんじゃない?」と思うことはよくあります。

  …“言葉”にこだわり、さらに迷宮に入り込んでしまうと、“人間性”や“真実的な意味”そのものを見失ってしまうことがあります…。
  ほんとに、言葉の存在は厄介です。
  でも、言語表現によって“違い”を見出すばかりでなく、言葉や表現を超えた“人間としての共通項”を見つめることも、とても大事なことに思いますよね。


*****

  そういえば、私自身は、あまり使用されたくない言葉、“レディファースト”。
これも・・・、なんで?
  海外であれば、その地の歴史と、それなりの理由があってのことでしょうけれど…特に日本はそのまま、それらにカブれれば良いっていうわけじゃないと思うんですけどね…。

  これも、昔。
  親しい男性と食事をした帰り、階段を降りようとした私に、その人が数段下から手を差し出してくれました。…確かに、私は両肩に重たい荷物をぶら下げていましたが…。
  そのシチュエーションは、何だかお姫様にでもなったかのようで、気分は良かったかも知れない(ニッコリ。)…、ですが、“意味が分からない”ので、とても居心地が悪い勘もあり。
  「あのさぁ、ちゃんと自分で降りれるから、いいよ。」と言うと、その人も「そっか」と。
  またある時は、車に乗ろうとしたら、ドアをわざわざ開けに来てくれ…それも“意味が分からない”ので、
  「自分で開けられるから、大丈夫よ。」と言うと、「そっか」と。
  またまたある時は、お店に入ろうとしたら、わざわざドアを先回りして開けようとしてくれるので、
  「ねぇ…自分のことは、自分でやろうよ。気さくな関係なら、先にドアの前に来た人がサービスすりゃいいんじゃないの?」と言うと、「そだね、やっぱり他の女性とは、言うこと違うね」という返事…???
  でも、このようなことは決して少なくはないデス。
  …別に、こうしてくれる男性の気持ちを尊重してあげても良いのでしょうけど、何でそんな変なところで、不自然に互いがエネルギーの無駄遣いしなくちゃいけないんでしょうか…とも思いますし、何かこちらを尊重してくれてないような感覚が、逆に呼び覚まされるのかも知れませんね…。
  無意識ですけど、笑。。。

  またまたそういえば、過去に数回別の方々から、以下の同じ台詞を言われたことがあります。
  「もっと、俺を頼ってくれよ!!」
  …“頼る”…? へぇ。。。私の内的辞書であまり見かけたことが無い斬新な言葉のような…。
  君は、何を求めて、何を埋めたくてそう思うの?? …と感じたこと、思い出します。 この人は、先述のような“お姫様”志望の女性と良いカップリングになるのかもなぁ、と。
  でも、そうは言っても、私はかなり甘えたい欲求はあります。 それこそ…多分、並みの女性と桁外れなくらい強く内在しているかも知れません。
  こういう場合、“甘える”という意味と“頼る”というのはかなり違う気がします。
  余談(いつも?)ですが、大学の試験答案を採点していたら、ある学生からのメッセージ…「先生、普段はちゃんとしてても、彼氏の前ではすごい甘えん坊さんじゃないですか?」と。…キミの見る目は鋭い、笑。(ただ…彼氏はいない。残念。。。)
  別に私も、バリバリ何かをやりたがり!というタイプではないんですが、“場”の意味が感じられない事象は、あまりお好みじゃないというか。。。


*****

  善悪、愛憎、男女…等々、 “異なる要素が1つに融合した状態”になれればなれるほど、“健康なこころ”のモデルにより近づけることが言えます。

  例えば、単体の中にある、“男性性”の要素と“女性性”の要素。
  私は不健康なせいか?肉体は女性ですが、中身がとてもオトコっぽいです。 昔冗談で、人から「この人は、外見は女性っぽいけど、背中の後ろにチャックがついてて、中から気難しいオジサンがでてきそうだ」と言われたことがありますが、とても納得。。。 また、ある体育系の友人と話し、「お!ウスイ、相変わらず“オトコ”だな!」と言われると、なぜか嬉しくなる私です。 
  “雄雄しさ”、と、“女々しさ”という表現があるなら、私は自分の中の“雄雄しさ”という性質を追いたいという、意識的な感覚があります。

  …私の中身がオトコ?なので…、私の子供から見ると、きっと心理的には父子家庭として、寂しく“父としての私”の背中を、子供は見つめているのかも知れないな…と思う今日この頃。


*****

  そんな私ですが。 
  魂が、いつまでたっても“半分欠けている”感覚が離れず、いつも痛んでいる感じがするのです。

  単なる、心的外傷の傷跡かも知れませんが(苦笑)、もっと何か違う感覚…自分の欠片を探し求めて感じる悲痛があるのです。まるで心が半分に割れてしまって出血しているような痛み…。まるで、いつの時期かに、魂を無理矢理ひきちぎって“離れ離れになった片割れ”がいて、それになかなか逢えないことを思い…心を痛めているような。

  確かに私は、生育歴からしても、心的外傷はかなりひどくあるはずですが、それがどうこう、という段階をどこかで超えた痛みなのではないかな?という感覚なのです。

  “家系”の世代間伝達、親の生き方、親子の間、そして私の傷と試行錯誤…それらは単純に、私の心の健康水準を落とす要因となり、本当は“片割れ”と回り逢うために生まれたのに、そのために、きちんと時を過ごして安定的にその片割れを“待つ”ということを、難しくしたんじゃないかと…。

  そして多分、その“片割れ”と融合することで、初めて私はオンナとして成立するようにも思っています。

  だから、きっと“本当の片割れ”像は…、私と真逆で、外見はとても男性っぽいけど、中身に女性の要素が濃厚な人だったりするんじゃないかと…。
そうすると、併せればピッタリと“1個分”ですよね☆

  …昔…。 本当に探している相手との遭遇を待てずに、“形”だけをとりまとめてみようと、自分の本当の片割れではないことを知りながら家庭を築いてみましたが、案の定、いろんな意味で“壊れ”ました、すみません(苦笑?)。 
  “真実を見抜き、本物を待つ”という、“健康な”行動がようやく少しは可能になり、時間の1つ1つを大事に過ごし、感じている、今…。
  いつ、どこでその“片割れ”に巡り逢うのか、楽しみにしています(^^) …が…、本当に、今生で無事に逢うことができるんでしょうか( -_-)笑。。

  そんな意味でも、やはり相変わらず、不安たっぷりの私です。

自己開示の甚だしい薄井より、久々のコラムを。。。

薄井 孝子